COLUMN

子どもたちとゲームやスマホ

こどもたちのwell-beingには、「今この瞬間の豊かさ」と「将来への種まき」という2つの側面があります。特に後者において、医療者がこどもたちの教育についてもっと深く理解する必要があると、本当に強く感じています。この数年、特別支援学校や療育センターへ空き時間を利用して意見交換に足を運びながら、多くのことを学ばせていただき、現場の医療者と現場の教育者が一緒に学ぶ機会も少しずつ始めているところです。

ゲームやスマホ。

医療の現場でもネガティブな話はよく聞きます。視力、睡眠、依存、いじめ、課金、犯罪。「いつもゲームばっかり」「スマホいじってるからだめなのよ」という声は外来でも珍しくありません。

でも少し立ち止まって考えたいのです。SNS、インターネット、ゲームはあくまでツールです。包丁と同じで、使い方が問題なのであって、そのもの自体を悪と断じることには慎重であるべきだと思います。

子どもたちのゲームはもうソロで行うものではありません。「今夜9時に集合」と約束して、Discordで話しながら一緒にプレイする。それは彼らの重要なコミュニティです。モバイル社会研究所のデータでは、世代ごとに使うSNSもまるで異なり、大人が「ゲーム」とひとくくりにしているものとは、もはや別物でした。その時間を「勉強しなさい」と奪うことは、友達との約束をすっぽかすことと同じだ——そういう視点を最近改めて突きつけられました。

エコーチェンバーとフィルターバブルの問題も見過ごせません。SNSのアルゴリズムは、自分の見たいものしか見せなくなります。怖いのは、それに気づかないことです。「自分の意見=世界の多数派」という錯覚は、子どもだけの話ではありません。

では何が抑止力になるのでしょうか。データが示すのは、意外にシンプルな事実でした。「親が自分のことを見ている」と子どもが感じていること、そしてフィルタリング機能を使っていること——この2つが、リスクを減らすデータがあります。完全な管理ではなく、存在を感じさせること。養育者の目はいつの日も重要ということみたいです。

禁止は簡単です。でも禁止は、人との繋がりを断つことでもあります。不登校は増え続け、AI時代の教育がどう変わっていくかはまだ誰にも見えていませんが、間違いなくこれまでの5教科主導の受験戦争がもつ意義は薄れます。だからこそ、これからの未来は私たちの常識の延長線上にはないのだと思います。どういった発達を支える医療が必要なのか——その問いに答えるためにも、子どもたちが生きている世界を、医療と教育が越境し、もっと真剣に知らなければならないと感じています。